会津若松駅前の大型店、会津サティが2009年6月30日に閉店した。神明通りにある会津地方唯一のデパート、中合会津店も2010年2月で閉店することが決まっており、会津地方の中心都市である会津若松市の中心市街地は岐路に立たされている。
会津サティは1982年にニチイ会津若松店として開店した。その後、1993年には会津サティとして衣替えし、会津若松駅前の大型店として営業してきた。会津若松市の繁華街は中合会津店がある神明通りとされるが、鉄道やバスの拠点であり、会津若松市の玄関口となる会津若松駅前にある会津サティは、現在のサティ形態としては珍しい駅前大型店であった。
だが、築26年という店舗の老朽化と相まってイオングループの打ち出した不採算店舗の閉鎖戦略が影響し、2009年6月30日をもって閉鎖することとなった。会津若松駅前唯一の大型店の会津サティも、時の流れとともに姿を消すことになったのである。
2009年6月30日、営業最終日の会津サティ。平日での最終営業日となったが、朝から大勢の買い物客が押し寄せた。
店の前には多くの自転車が。店舗前の歩道も人通りが絶えず、最後の活気を呈していた。店内では、最後の値引きと称し各所で○○円均一の大きなかけ声が。その場で値札を書き換えるワゴンセールなど、最後まで活況を呈していた。食品売り場ではレジに長蛇の列。タマネギ1個8円!?ミシン店では、ミシンを買い上げた買い物客に店員さんが深々とお辞儀をして見送っていた。
「27年のご愛顧、誠にありがとうございました。」もうすぐ、会津とのお別れとなる。店内では「昭和57年ニチイ会津若松店として開店以来、また平成5年には会津サティに生まれ変わり、様々に移り変わる会津を皆さまとともに過ごしてまいりましたが、時代の移り変わりとともに皆さまからのご期待にお応えすることが難しくなり、誠に勝手ながら6月30日をもちまして閉店させていただくことになりました。長年のご愛顧、誠にありがとうございました。」と放送が繰り返し流れていた。
店内を出入りする買い物客。思い出のいっぱい詰まった会津サティでの最後の買い物。名残惜しそうに店の中を振り返る人の姿もあった。長らくサティとともに営業してきたミスタードーナツも最後の営業。
閉店時刻の18時が迫り、大勢の買い物客が店から出てくる。店員が出口付近に整列し、店を出る買い物客を見送っていた。18時を過ぎても、多くの買い物客が店内に残っていたため、今しばらく営業を続ける会津サティ。
店から出たところで、駆け寄ってきたなじみの店員に呼び止められ、挨拶と握手を交わす買い物客の姿。
18時半頃、店内も静まりかえり、ついに閉店の時を迎える会津サティ。整列していた店員たちが出口に集められる。
会津サティ店長の閉店の挨拶。長年の利用に感謝し、「会津サティは本日で無くなりますが、会津サティが、いつまでも皆様の記憶に残ればと…。」店の外にはかなり大勢の市民が残っており、会津サティの最後を見守っていた。
出口の扉が施錠され、シャッターが降り始めると、多くの市民から大きな拍手が湧いた。会津サティはここに27年の営業に幕を閉じた。
まだ日が明るい。会津サティの最後を見届け、徐々にその場を後にしていく市民。
建物は取り壊されるが、会津サティの運営会社であるマイカルも参加した協議会が発足し、駅前敷地の残りの区画もマイカルが取得を目指し、再開発に参画することとなった。撤退後の活性化事業に参加することは異例で、マイカルとしても「長年お世話になった地元の熱意に応えるべく」としている。