福島県の中央部、郡山市の南側にある須賀川市。須賀川市の中心市街地に当たる中町地区はJR須賀川駅の南方に位置する。郊外店の相次ぐ進出などで、須賀川市も中心市街地の空洞化が進んでいた。そのあおりで一度は閉店に追いやられた老舗百貨店、赤トリヰ。4年の時を経て、かつて営業していた同じビルに面影をそのままに復活した。
赤トリヰの前身はメリヤス製品・洋傘の店で、明治38年に本町で創業。昭和51年に赤トリヰショッピングセンターとして、地上5階 地下1階の大型店をオープンさせた。以来、須賀川市の中心市街地の百貨店として街の顔であり続けた。商業都市郡山市と隣接しながらも、須賀川市中心市街地の活気を保ち続けてきたのである。しかし、平成に入ると郊外型大型店の出店攻勢が激化。中心市街地の客足は遠のき、売り上げは減少の一途をたどった。赤トリヰは経営強化のため、本宮町の成田屋と合併し、マイカル福島としてマイカル傘下に加わった。しかし、赤トリヰ中町店の売り上げ好転には至らず、2000年1月10日、多くの市民に惜しまれながら須賀川市の百貨店・赤トリヰ中町店を閉店し、94年の歴史に幕を閉じたのである。
その後、マイカル系列として須賀川市北部の北団地バス停前の須賀川サティに営業を集約してきたが、親会社のマイカルが会社更生法を申請して事実上倒産。ダックビブレをはじめその子会社も次々と倒れていったが、マイカル福島だけは資本関係が比較的薄かったことから倒産は免れた。これを機に、経営権を地元に戻した赤トリヰは須賀川サティの店名を須賀川なじみの名前の赤トリヰグリーンモールへと変更した。赤トリヰ中町店は閉店後から中心市街地の空洞化を懸念する地元商店街や、店を復活して欲しいという市民の強い要望に応え、2004年3月9日にかつての店舗をデパートからスーパーに変えて、再オープンを果たしたのである。
3月9日は会員を対象としたプレオープンで、3月11日に正式オープンとなった。再びシャッターが開き、装い新たにスタートを切った赤トリヰの入口。地元商店街では、赤トリヰのカラーにちなんだ手作りの赤いリボンを街路灯に結んで、街をあげての歓迎をしている。また、周辺の金融機関の協力で、土日は駐車場が無料開放されている。
百貨店時代は5階まで売り場があった店舗は2階までと売り場面積はかつての3分の1。1階が食品売り場で2階が衣料品・日用品の売り場となっている。残りの部分の活用方法が課題となっている。
須賀川市の中心市街地に再び人の流れが戻り始めた。中核的な存在である郡山市や福島市と比べて商店街の買い物客の数・街の活気が見劣りするのは否めないが、赤トリヰが復活したことにより、少しずつ街の活気が芽生えてきている。休日にもかかわらず、須賀川駅前~中町の路線バスの利用客が目立ち、街の道路に客待ちタクシーが並び、通りには人が行き交っている。前途は決して楽観できないが店の明かりを再び灯し始めた赤トリヰ、街の大きな期待を背負って営業していく。