福島県浜通り北部、相双地方の中心都市原町市。市の名前は原町市なのにJR常磐線の駅の名前は原ノ町、さらに駅前にある福島交通・常磐交通のバス停の名前は原町駅前。そんな原町市の中心市街地、原ノ町駅の駅前通り商店街を進んだ所に昭和54年3月、地元の百貨店としてファミリーデパート・ノムラがオープンした。原町市内では売り場面積が最大の大型店、その後店舗の名前をサンホーユー、ニチイ、原町サティと変え、原ノ町駅前の大型店として営業してきた。サティはスーパーでありながらミニ百貨店というコンセプトも併せ持った営業スタイルで、原町サティも相双地方の百貨店的な存在としてあり続けた。<br>
しかし近年、生活様式や買い物スタイルの変化によって原町サティのような中規模店の営業は各地で厳しくなっていた。原町サティは300台という駐車場を有しているものの中心市街地にあることでそれを無料化することができず、また売り場面積が中規模程度ということも足かせとなり、原町市の中心市街地の集客力の低下と相まって売り上げが激減していた。経営再建を目指していたマイカルの子会社マイカル東北は当時、売り上げが減少している古川、釜石、遠野、そして原町の各サティを閉鎖対象としてリストアップした。原町市の中心市街地の大型店が閉鎖となればその影響は大きいため、原町市とマイカル東北が平成13年6月頃に協議、一時は第3セクター方式による原町サティの存続という方向で検討が進められていた。
だが、事態は大きく変わってしまった。親会社のマイカルが平成13年9月14日に自主再生を断念し民事再生法適用を申請(後に会社更正法に変更)、続いて同18日にはマイカル東北も民事再生法を申請した。負債総額は388億円に上り、再建のためにさらに大規模な店舗閉鎖計画を打ち出した。赤字決算が続く原町サティも閉鎖が決定。原ノ町駅前の大型店は平成14年5月末に閉店することとなったのである。
5月19日
5月19日正午頃。「完全閉店売りつくし」の垂れ幕を下げて閉店セールを行っている原町サティ。日曜日ということもあり周辺の駐車場には多くの車が。原町サティの閉店セールに多くの買い物客が訪れていた。
次々と買い物客が店内に入っていく。2~3割引の商品が並び、家族連れなどが品定めをしていた。1Fでは忘れ物バザールが催されており、CDなどの安売りも行っていた。また3Fでは古書市が開かれ、古本を眺めている買い物客の姿も見られた。
閉店を知らせる看板。ノムラとしてオープンして以来、23年間原ノ町駅前の大型店として営業を続けてきた。原ノ町駅近くにはヨークベニマルがあるが駅前通りからは逸れており、原ノ町駅と原町サティを結ぶ駅前通り商店街は原町サティの閉店によって大きな影響を受けるだろう。
大町駐車場に繋がる小さい通りにあるのが原町サティの中央出入り口のようだ。出入り口には閉店を告げるパネルが設置され、残り2週間足らずの最後の営業を続けていた。地下食品売場は半分ぐらいのスペースが既に空きとなっていたが、「毎日新鮮な食品を提供いたしております。」とのテープの放送の通り、精肉などの生成食料品はその日も多く揃えられていた。
5月31日閉店間際
閉店日である5月31日は閉店時間を19時に繰り上げ、最後の営業を行った。閉店時刻を過ぎた19時20分、店内にはまだ買い物客が残っており出口から次々と原町サティを後にしていく姿が見られた。店を出てきた女子高生達も「あとには何が入るんだろう…。」と寂しそうに話をしていた。
駅前通りに通じる通りに面した入口のシャッターも半分閉じられ、間もなく営業を終了する原町サティ。この時写真を撮っていたら近所の小さな女の子に声をかけられ「何撮ってるの~?」「最後だから撮っているの~?」と質問責め。撮った画像を見せると大喜びで「今度はあの自動販売機撮って。」「あのお花撮って。」「今度はあのアンパンマン。」と次々と撮影の要求が(汗)。その間、出入り口のシャッターが閉じると「あ~あ、お店閉まっちゃった。」とがっかりしていた。大きくなったら原町サティを思い出すことがあるのだろうか…?
大町駐車場側の入口では従業員が整列をして買い物客を見送っていた。「ご愛顧、ありがとうございました。」 閉店時刻が繰り上がったのを知らずに買い物に来て、残念そうにして駐車場に戻っていく主婦やお父さんと小さな子供が原町サティの閉店を店の外から見届ける姿が見られた。
19時30分、最後の扉の施錠がかけられた。
23年間の営業を終え、ノムラから始まったその歴史に幕を閉じる原町サティ。
シャッターが完全に閉じられ、原ノ町駅前の大型店の明かりが消えた。
照明が消され、静まり返る原町サティ周辺。中心市街地の核が消え、原町市の地盤沈下は避けられない。跡地利用を含め一刻も早い対策が求められる。