丸井郡山店

丸井が東北で唯一営業していた店舗、丸井郡山店が2008年2月29日に閉店。郡山駅前を見つめ続けてきたOIOIが姿を消した。

 

丸井は首都圏を中心に店舗を展開し、若者を中心とした客層をターゲットにした品揃えで、いわば流行の一端を担っている。その丸井で唯一、東北の店舗である丸井郡山店は1975年11月に開店。当時は郡山駅前に相次いで大型店が進出し、経済県都の中心市街地は活気にあふれていた。丸井は郡山駅前正面の一等地に店を構え、都会の風を吹き込む存在になっていた。東北で唯一の丸井、仙台には無く郡山にある丸井として、東北第二の都市規模を誇る郡山のステータスに大きな役割をもっていたとも感じる。

そんな郡山市も、不況の波や郊外店の相次ぐ進出・攻勢、そして仙台市などとの都市間競争にさらされ、中心市街地の勢いにも陰りが見えていた。ダイエーや郡山西武の閉店など、変わりゆく郡山駅前の姿をずっと見続けてきた丸井郡山店。そんな中でも、うすい百貨店が新装開店したときには「祝・うすい開店」の垂れ幕を掲げ、首都圏を中心とした広域展開する企業でありながら、郡山店地元中心市街地をともに盛り上げようとする意気込みを感じることができた。

しかし、丸井は近年店舗の大規模化を進める経営戦略を掲げ、売り上げが伸びない小規模店舗の閉鎖を続けていた。首都圏においても売上高下位の津田沼店(千葉県)や所沢店(埼玉県)、さらに本店の中野店まで閉鎖し、郡山店は8階建てでありながら残る店舗で最小規模となっていた。丸井郡山店の売り上げも1992年の89億円をピークに減少が続き、2006年には70億円まで落ち込んでいた。売り上げ減少に歯止めがかからず、店舗の大幅な改装・拡張も困難なことから、丸井は2007年2月に、郡山店を2008年2月をもって閉店することを発表したのである。

 

2008年2月29日、営業最終日の丸井郡山店。売り尽くしセールの垂れ幕を掲げ、最後の営業。

 

営業最終日とあって、次々と買い物客が足を運ぶ。Atiとの横断歩道の信号が青になると、通常は渡り終わった歩行者が各方面に分散するが、この日は歩行者皆丸井に列を作って流れ込んでいた。

 

日が落ちて夕闇もかすむ中、あと1時間足らずで営業を終える丸井郡山店。駅前に映える赤い丸井の灯りも今日限りとなる。閉店30分前になっても店を訪れる人は途絶えず、店内各フロアは多くの買い物客で賑わい、上りエスカレーターにも人が次々と乗り込んでいた。店内放送で「32年間、多くの皆様にご支援いただいた丸井郡山店は本日閉店します。長年のご愛顧・・・」と繰り返し流されていた。閉店間際になっても、店員さんが商品をきちんと揃える作業をしていたのが印象的だった。

 

まもなく閉店となる丸井郡山店。閉店時間である18時30分の5分前になると、店内に「蛍の光」が流れ始めたが、一向に買い物客が退く気配が見えない。店内のあちこちで、買い物客が店員さんに声をかける姿が見られた。出口からはOIOIの袋を持った買い物客が続々と店を後にしたが、閉店時間を過ぎても多くの人が店内に残っていた。出口には丸井の従業員が並び、店を出る人たちを見送っていた。

 

18時45分過ぎ、最後の買い物客が店を後にしたが、店の外には丸井郡山店の最後を見届けようと非常に多くの市民が集まり、車道にあふれるほど歩道は大混雑していた。閉店に際し、店長の挨拶があり、何度も何度も言葉に詰まりながらも「本当にありがとうございました。」と繰り返し市民に感謝の言葉を述べていた。

 

そして、花束贈呈。大きな拍手。この後、何人もの人が店長らと握手を交わす光景もあった。

 

名残を惜しむような一瞬の沈黙の後、丸井郡山店のシャッターが降り始めた。再び大きな拍手がわき起こり、市民からも「ありがとう!」の声が飛び交った。ここに丸井郡山店は、多くの市民に見届けられながら32年の歴史に幕を閉じた。

 

シャッターが閉じられ、照明が落ちても本当に多くの市民が店舗前に残っていた。