中合福島店駅前地下入口の変遷

2020年8月31日(月)をもって閉店した中合福島店。株式会社中合も、2021年6月28日(月)より、でぱあとまにあ開設21周年に合わせるかのように、それまで福島市置賜町の左平ビル(福島駅東口バスターミナル正面)にあった事務所を、東京都江東区の東陽駅前ビル(ダイエー東陽町本社と同じビル)に移転し、事業者としての中合も福島市に別れを告げました。

中合福島店は、駅前地下歩道に直結する地階入口を持っていました。ホテル辰巳屋と共用の出入口で、JR福島駅東口から地下道を降りて直接店内に入れるようになっていました。その出入口、仕組みや構造は変わりませんでしたが、光景の変遷を見てみたいと思います。

 

2010年12月の中合福島店駅前地下歩道出入口。ホテル辰巳屋と共用で、上部案内看板が「NAKAGO」「辰巳屋」と区分けされている。

 

2020年6月の中合福島店駅前地下歩道出入口。ホテル辰巳屋が2019年8月31日(土)をもって閉館したため、中合福島店単独の出入口となった。ホテル辰巳屋閉館直後は、この入口入って右手のホテル辰巳屋エレベーターは中合の各階フロアの移動用に利用できたが、中合福島店の閉店発表後、保安上の理由からかこのエレベーターは利用停止となった。

 

写真映りが悪いので、看板ににじり寄って撮影。「辰巳屋」だった部分には中合のキャッチフレーズ「この街と人が好きだから」。この時点で営業していたのは中合福島店、中合サテライトショップ会津(7月末閉店)、棒二森屋函館空港売店の3拠点(6月末閉店)。

 

中合地階フロアはデパ地下銘店街。様々な銘菓やお総菜、高そうな酒類、今商店の海産物など。

まだ中合2番館があった頃、私は1番館地下で店員さんに聞いたことがある。

「うすい百貨店に無くて、中合で販売している銘菓ってありますか?」

中合の店員さん、しばし悩み、他の店員さんと相談し、

「ゴンチャロフさんですかね~?」

とのこと。

ゴンチャロフの箱菓子を買っていって、郡山の親戚におみやげで持って行ったら、不正解だった。ゴンチャロフも、うすい百貨店で販売あり。正解はどうやら、「銀座あけぼの」だったらしい。

 

2020年8月31日(月)の中合福島店閉店後、2020年9月の中合福島店駅前地下歩道出入口。シャッターは閉ざされ、シャッターのNAKAGOのロゴはまだ残る。それより、それより、看板に
「146年間、中合をご愛顧いただき、誠にありがとうございました。」
と新調された看板が。地下道を行き交う人々みなこぞって、このメッセージに涙したに違いない。

 

「NAKAGO Food Selection」の看板もこの通り。ここを通るたびに、ここに、まさにここに、中合デパートがあったと強い強いメッセージが放たれていた。

これで、辰巳屋ビル取り壊しが始まる2022年、関連してこの地下歩道や中合旧地階出入口に工事が入るまでは、中合の存在を感じ続けることができると思っていたのだが...

 

辰巳屋ビル1階で、いちい街なか店が期間限定で営業を始めたためか、中合のメッセージが白紙に新調されてしまった。店は1階で営業しているぞ(閉店と誤認させない)ための措置だろうか。思いは複雑、寂しさはそのまま。

その、いちい街なか店では、月に1~2回のペースで中合の機能を受け継ぐ形で物産展を催している。場所は辰巳屋ビル1階いちい街なか店奥、地下へ降りるエスカレーターを囲むようなスペース。先日の物産展で、今商店さんがお弁当を販売していたとき、地下でお弁当を調理していて、中合時代に使われていた赤エスカレーター(下り)を逆走させて店員さんが上ってきて、できたてお弁当を引き渡して、今度はエスカレーター(中合時代は上り)を逆走させてまた地下にもどっていった。中合閉店後も活躍している地下へのエスカレーター。そういえば、今商店さんは中合福島店末期に地階にテナントとして常設出店していたので、勝手知ったるフロアで調理をしていたのかな?

 

2021年6月、駅前地下歩道の休日日中の様子。30年前、ここにはとてもたくさんの人々が行き交い、(違法な)路上でのアクセサリー販売なども行われていた。あのひっきりなしに人々がおしゃべりしながらガヤガヤ行き交う光景は、その面影すら感じさせず、ただ幅員が広いだけの地下歩道がもはや無を感じさせる。

実際は、地上交差点に横断歩道が整備された影響も多分にあるでしょうが。

 

中合の塔屋は、今日も変わらず福島駅前を見つめている。この景色はいつまで?

福島駅前再開発事業って、先般公表された新ビル群の計画で商業フロアが当初より大きく減少されたが、本当にうまくいくの?
福島市の未来、本当に研究し、考えてのことなのかな?

一介の住民には 知る由も無し