中合最後のお中元

2020年6月18日(木)から中合福島店の7F大催事場で始まった総合ギフトセンター。中合から贈ることが出来る最後のお中元です。

 

7/5(日)と7/12(日)は、7F総合ギフトセンターのみ朝9:30からの営業。

 

7/5(日)の9:20頃の駅前通り。人通りは無く閑散としていた。

 

中合福島店の東側入口は既にシャッターが開かれていた。

 

9:30の開店前には、7F総合ギフトセンターに向かう4人の買い物客が集まっていた。

 

9:30の開店と同時に店内に入っていく買い物客。7F総合ギフトセンターへは、店員の誘導でエレベーターのみの使用。4人ずつエレベーターに乗せて7Fへ向かっていた。7F総合ギフトセンターは受付窓口が既にフルオープンになっており、番号札を順に引いて、お中元の受け付けを素早く行っていた。10:00の中合福島店全館開店直前までに総合ギフトセンターに訪れた買い物客は8組12-3人程度であった

 

お中元のカタログが贈られてくるのもこれが最後。おなじみの「福かさね」をはじめ、さまざまな品物が掲載されていた。今年は7F総合ギフトセンターは7F大催事場のスペースをめいっぱい使い、フロア北東方向に展示スペースを設けて、待合いスペースを大きく確保していた。

 

お中元を注文すると、記念品として中合クリアファイルをもらえた。左側が7/5(日)にお中元を注文したときに、右側が7/7(火)にお中元を注文したときにもらえたので、この間にクリアファイルの種類が切り替えられたと思われる。数量限定の模様。

 

6/30(火)をもってポイント付与が終了になったNカード。一般の買い物客(既に発行されていた中合友の会会員、中合OMCカード会員を除く)もNカードを持てるようになってから、わずか半年で運用が終了された。

 

Nカードのたまったポイントで交換した中合お買い物券。500ポイントごとに500円分のお買い物券と交換できた。Nカードに残った端数ポイントは、わずか14ポイント。我ながら素晴らしい残ポイントであった。やはり6/30(火)夕方18:30に購入したゴディバのグランプラス(59粒入り)のラストスパートが効いた。最後のポイント交換でNカードは無用の長物となったが、もちろん記念にとっておくのだ。

 

中合福島店前の交差点側壁面には、中合の大町営業時代と栄町時代開店の様子を写した写真が掲示されていた。

 

大町時代は、現在の平和通り沿いのホテルサンキョウの場所に店舗を構えていた。中合の歌にあるミサイルタワーは大町店舗のシンボルであった。大町の店舗は、中合の栄町移転後に昭和49年秋に中合大町支店として再オープンしていた。その後、大町パルクと店名が変更され、百貨店志向の駅前中合に対して廉価品を扱う店舗として営業したが、年商が15億円と営業数値としては厳しく、昭和59年8月28日に大町パルクは閉店した。

 

大町時代の中合の売場案内。地階の食品売場の内容から、当時の贅沢品と目された物がうかがい知れる。

 

栄町時代、辰巳屋ビルの建設の様子。当時そして現在も福島市屈指のビルとして、その姿を現していた。

 

あづま陸橋も工事中。移転前の山田百貨店や、同じく移転前の長崎屋福島店も確認できる。辰巳屋ビルの背後にはハトヤの建物が。ハトヤは食品スーパーで、山田百貨店の地下食品売場に店舗を構え、やがて中合2番館の地下食品売場を担ったようだ。

 

中合駅前進出の様子。背後のニチイの塔屋のビルは駅前移転後の山田百貨店。やがては中合2番館になる平和ビルである。左下に中合1Fのエスカレーターの様子が写りこんでいるが、1Fから地階にかけての吹き抜けにトゲトゲシャンデリアが飾ってあった。これを見た記憶がある。

 

昭和48年10月1日、中合駅前移転を伝える紙面。福島駅前に華々しくオープンした昔日を伝えている。その後、平成5年に八木田の中合物流センターが完成し、同3/1から上町の商品管理センターから移転した。八木田の物流センターでも希に催事が行われ、地域住民が買い物等に訪れていたようだ。

2020年7月7日夕刻、中合福島店3Fの東京風月堂では、淑女4名が
「中合が無くなったら、中合で買った服を着ていく場所が無くなってしまう。」
と寂しそうにお茶を興じていた。そんな晴れの舞台である中合福島店も、あと2ヶ月足らずで閉店を迎える。