中合会津店は会津若松市の中心市街地のメインストリートである神明通りに店を構え、長らく会津地方唯一の百貨店として親しまれてきました。
現在の中合会津店は昭和36年に若松デパートとしてオープンしました。その後、昭和43年に中合が約8割出資して社名を会津中合に変更しました。この時点ではまだ福島市の中合とは基本的に別会社で、販売企画の共同化や人材交流などは行っていましたが、仕入れは中合と会津中合とでは別々に行っていました。そして平成5年9月1日、両社は対等合併して会津中合は中合会津店となりました。
親会社のダイエーの経営破綻に伴い、中合も民事再生法の適用を申請し、そのさなかでダイエー系列の百貨店子会社の再編の際にも黒字店舗として存続され、新生中合6店の1店舗として時代の荒波も乗り越えてきました。
しかしながら、中合は2009年5月22日に中合会津店を2010年2月で閉店すると発表しました。現在のところ黒字経営ながら、売り上げがピーク時の半分に落ち込んだことと、店舗の老朽化に伴う維持管理費の増加もあり今後の収支改善が見込めないことを理由に挙げ、経営改善策の一環として閉鎖するとしています。会津若松市では長崎屋会津若松店の閉店や会津サティの閉店が続き、中心市街地のシンボルともいえる大型店が次々と姿を消すことになります。
会津地方唯一の百貨店である中合会津店閉店のニュースは県内に波紋を広げました。閉店方針発表の翌日、朝日新聞の朝刊に印象に残る市民の声が載っておりました。
「たった一つ残ったデパートもなくなり、
商店街はどうなってしまうのか。
もっと買いに来れば良かった。」
中合会津店がある神明通りは会津若松駅より少し離れている。道路の両脇にはアーケードがあり、中心市街地の空洞化が叫ばれる中にあっても人通りは多い。
7月末の土曜の昼下がり。中合会津店を出入りする買い物客。ただ、館内の買い物客の数は土曜日の昼にしては残念ながら少なめな印象であった。その中でも、7階のお中元特設会場では時期終盤にも関わらず常に人の流れがあった。初老の女性がお中元の手続きの時に、店員さんに
「次にお歳暮の時には間に合うけど、来年からの贈り物は困っちゃうね。」
と閉店を惜しむ話をしていた。
アーケードに面した入口。こぢんまりとしながらも、ショーケースが百貨店を彩る。若松の「NAKAGO」の灯も、もうすぐ消えてしまうのか...