さくら野百貨店福島店

 

 

2005年3月21日、さくら野百貨店福島店が多くの市民に惜しまれながら閉店した。さくらの百貨店の前身は昭和5年に創業した山田呉服店で、昭和23年9月に山田百貨店として本町で営業開始、昭和48年に駅前移転(現中合2番館)を果たし、中合とともに山田百貨店は福島を代表するデパートとして親しまれていた。平成5年3月に、東北各地の丸光百貨店とともにダックビブレに参加、長年親しまれてきた山田百貨店の名を福島ビブレに変え、平成10年に福島駅に北側の曽根田地区に移転した。中心市街地にありながら、大規模な駐車場を擁す郊外型大型店の様相を呈していたが、親会社のマイカルの経営破綻により、ダックビブレも民事再生法適用を申請。マイカルグループからの脱却を機に店名をさくら野百貨店に一新した。しかし、再生を進めるさくら野他店舗が次々に黒字の見通しがつく中、福島店は赤字体質から脱却できなかった。家賃の減免をめぐり、貸し主との交渉が決裂し、2004年10月に福島店閉店を決定。その後の存続への動きも実らず、春の訪れとともに桜のつぼみがふくらみ始めた2005年3月21日、閉店となったのである。

 

閉店決定後、閉店セールを実施する垂れ幕がかけられた店舗。

 

2005年3月21日の営業最終日、たくさんの買い物客が詰めかけ、立体駐車場に入る車の列が店を囲んでいた。

 

既に3,4階の営業は17日に終了し、1,2階のみの営業。1階の食品売り場は半数以上が空の棚に覆われていたが、2階の婦人服売り場はたくさんの買い物客のなか、閉店を思わせないようなショッピングの光景が見られた。

 

さくら野閉店後も5階の映画館やテナントは営業を継続する。その後、MAX福島開店後も引き続き営業している。

 

福島交通市内循環バスのバス停「さくら野百貨店」。このバス停もさくら野の閉店とともに休止となり、そのまま廃止となった。MAX福島開店後に新しく設けられたバス停「MAXふくしま」は県道上に設置された。

 

17時30分、各入口では最後の買い物を終え店を後にする買い物客にさくら野百貨店の粗品が配られた。福島市の名所、花見山のお皿である。閉店30分を切っても店内には多くの買い物客が行き来していた。アクセサリが1,000円均一、貴金属が10,000円均一と次々と値下げされ、人だかりができていた。特に入口近くの衣料品コーナーは最後までレジ待ちの列が途絶えなかった。17時50分、館内に福島店店長の閉店の挨拶が流れた。

「昭和5年の山田呉服店の創業以来、福島市や伊達郡、安達郡、二本松をはじめとした県北地区、さらには山形県からも多くのご愛顧を賜り、ありがとうございました。・・・このたび、閉店やむなきに至り、深くお詫び申し上げます。・・・」

と、感謝の言葉とともに、閉店となったことへのお詫びの言葉が何度も繰り返され、福島のさくら野百貨店の灯を消さざるを得ないことへの無縁の気持ちが伝わってきた。挨拶が終わり、買い物客に粗品を配る際にも

「申し訳ありません。」

と深々と頭を下げていた。

 

18:00、館内に閉店を告げる放送が流れ、山田から始まった75年の歴史に幕を閉じる時を迎えた。次々と店を去る買い物客たち。

 

最後の買い物客が店を出、正面入口の扉に鍵がかけられた。

 

シャッターが閉じられ、さくら野百貨店福島店の営業が終了した。

 

閉店時、店の外にはさくら野福島店の最後の姿を見届ける市民の姿があった。

 

県内各メディアも取材のため集結していた。このテレビ局は、ニュースの中で生中継を放送したが、on airの5分前に正面入口のシャッターが閉じられ、店の活気が消えた直後の生中継となったようだ。

 

閉店後の店内の明かりがまぶしい。さきほどまで人でごった返していた店内が寂しく映る。

 

陸橋側の入口。ドアは開くが中のシャッターは既に閉じられた。ドアを開けてシャッターが閉まっていることで閉店を知り、残念そうに去っていく主婦の姿や、ドアの前で記念撮影をしている若い女性の姿もあった。

 

閉店後、さくら野百貨店福島店の塔屋が名残惜しそうに照明に照らされてた。