さくら野百貨店石巻店

東北地方の中心都市、仙台から東へ約50kmに位置する宮城県第2の都市、石巻市。その中心市街地、石巻駅前にあるデパート、さくら野百貨店石巻店。立体駐車場を併設し、石巻市唯一の百貨店として営業してきたが、郊外店の攻勢や、仙台市への商的一極集中の波に耐えきれず、丸光石巻店から始まった53年の歴史に幕を閉じることとなった。春の暖かさが心地よい季節になった2008年4月27日のことである。

 

前身の丸光石巻店は1955年に石巻市中央二丁目に開店。その後、丸光はダックシティ(百貨店連合)に参加し、ダックビブレとして石巻店を含めた各店舗をビブレ(VIVRE)に変更した。石巻店は1996年に現在地に店舗を移設、石巻ビブレは駅前に立体駐車場を備え、映画館ワーナーマイカルも併設した百貨店として、石巻市の中心市街地をリードしてきた。特に宮城県内においては、気仙沼ビブレ閉店後は仙台市以外に立地する唯一の百貨店(近年開店した郊外型店舗の三越名取店を除く)として、仙台市から1時間の距離にありながら都市の文化を発信してきた。そのダックビブレが、親会社のマイカルの経営破綻を受け、資本をマイカルから独立させ、さくら野百貨店に生まれ変わった。さくら野になった当初、石巻店は仙台店とともに「赤字だが黒字転換が十分見込める店舗」に分類され売り上げを伸ばす様々な施策が行われてきた(もうひとつの赤字店舗、さくら野福島店は閉店)。だが、近年郊外店の攻勢が激しくなり、イオン石巻が開店すると客足は激減した。そのさなか、ワーナーマイカルが2007年1月8日に撤退し、イオンに移転。テナントの書籍店なども離れていき、石巻店の売り上げは減少していった。劣勢に耐えきるのが不可能と判断され、2008年2月にさくら野百貨店石巻店の閉店を発表。石巻市役所の移転候補地として脚光を浴び、石巻市に建物を無償譲渡することとなり、2008年4月27日に営業を終えることとなった。

 

営業最終日は18時で閉店。夕刻になっても買い物客の出入りは絶えない。駅前の道路も立体駐車場への車で混雑し、駅前交番の警察官が路上駐車の取り締まりや交通整理を実施していた。

 

商店街側からも次々と買い物客が入っていく。店内のマクドナルドは外からの出入り口をさくら野店内からのみにし、そのスペースもイスを配置して混雑に対応。店内では空になった棚も目立ち、半額の値札からさらに割引の商品なども数少なくなっていた。5Fの喫茶店は営業最終日特別メニューを張り出したが、盛況により品切れとなった模様で予定の16:30よりも早く閉店していた。

 

宮城県各メディアも営業最終日の様子を取材するため集まっていた。店内5Fの会場では「お別れ最後の市民広場」と題し、石巻市民交響楽団有志による演奏等が催されていた。17時を回ると、店内の混雑もやや退いてきたが、上りエスカレーターにもまだまだ人の列ができ、残った商品を品定めする買い物客の姿が見られた。1F食品売り場の陳列棚は、ほぼ空っぽになっており、銘菓スペースの各店舗も最後のサービス品等を提供していた。

 

閉店時刻まであとわずかとなったが、石巻市民交響楽団有志が1F正面口付近で最後のさくら野お別れ演奏会。多くの買い物客が足を止めて演奏を聞き入っていた。

 

楽団による最後の演奏『蛍の光』が終わったところで、ちょうど閉店時刻の18時を迎えた。惜しみない拍手が送られた後、店内に残っていたたくさんの買い物客が次々と店を後にしていく。

 

出口で買い物客を見送る従業員に、花を渡す買い物客の姿もあった。

 

よく買い物に来ていた人だろうか、名残惜しそうにずっと店内の様子を見つめ続けていた。さくら野石巻店での楽しいお買い物もこれが最後・・・。

 

18時10分すぎ、正面出口に従業員が整列し、「ありがとうございました。」

 

シャッターが降り始め、周りに残っていた買い物客らからは大きな拍手が送られた。多くの買い物客に見送られ、さくら野百貨店石巻店の営業が終了した。

 

シャッターが閉じた直後、小さな子どもが「開けてくれ~。」とシャッターを叩く。大きくなって、自分の生まれ育ったこの街にデパートがあったことを思い出すだろうか?

 

シャッターが閉じた後も、閉店を惜しむように人々が残り、メディアも買い物客にさくら野石巻店の閉店に対する思いなどを取材していた。

 

さくら野百貨店石巻店の閉店を見届けるかのように、まだ日の明るさも残っていた。