マリーン5清水屋(2)
マリーン5清水屋が入居する酒田セントラルビルのエレベーター。酒田市で初めて稼働したエレベーター。
エレベーターのカゴの後部はガラス張り。酒田市中心街を高い位置から見ることが出来る。このエレベーターが上下に行き来するのも今日限り。
相変わらず最後の営業で活況を呈すマリーン5清水屋の3階フロア。商品も多く、買い物客も集まる。レジには常に行列ができ、レジ係の3人も休む暇無くお会計。その間隙を縫って、テナントの従業員もレジに割り込み会計処理。本当に忙しい1日。50%OFFの赤表示も黒のマジックで70%に上書きされていた。買い物客の中には、店員さんに花や贈り物を渡す姿も。
あれ? レジの行列にさっきまでおいしいカレーを作っていたシタの店員さんが・・・お店どうしたのさ??
店内に掲示されていた清水屋商品券などの案内。本日7月15日(木)まで有効で、翌日以降は利用も払い戻しもできない。
それを知ってか、初老の女性が大量の衣料品をカゴに入れてレジまで行って、
「これでいくらになったかな? 清水屋の商品券1万円分使い切りたいんだ。」
と店員さんに相談していた。会計したら9,000円ちょっとだったらしく、女性に1万円を超える買物にしてほしいと頼まれて、店員さんが肌着などを見繕って追加していた。
ところが、女性が持っていたのは中合清水屋店発行の中合商品券(全国共通百貨店商品券ではなく中合の商品券)。2012年の中合撤退後より、マリーン5清水屋では利用できない商品券。店員さんが事情を説明し、利用できない旨伝えると、
「そうなんだ。タンスに大事にとっておいたのに・・・」
と残念そう。
「最初に商品券見せてもらえば良かったですね。大変申し訳ありません。」
と店員さん。買い物客の女性は商品券を全て店員さんに預けて処分を依頼し、フロアを後にしていった。
マリーン5清水屋のレシート。中合合併前のレシートは知らないが、原点に戻ったのだろうか。レシートには特にメッセージ等は印字されていなかった。
閾値は分からなかったが、ある程度の金額の買物をするとレジでいただけた記念品。CDケースとのこと。
17時を回り、館内放送で
「マリーン5清水屋が、5時をお知らせいたします。」
と最後の時報が鳴った。その後、よく聞き取れなかったが、マリーン5清水屋のテーマ曲が短く流れていたようだ。そして17時20分過ぎ、3階フロアの下りエスカレーター正面のワゴンで1,000円均一コーナーが500円均一に。
「閉店まであと33分でございまーす! これで最後です。 ここの商品全品税込500円! 全品税込500円! 良いものから無くなりまーす。 どうぞお選びください。 閉店まであと32分です! これが最後! これが最後! マリーン5清水屋を長年ご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。 最後でございます! ここの商品全品税込500円! 閉店まであと31分! どうぞ最後のお買い物。 マリーン5清水屋最後のお買い物。 全品税込500円! どうぞお選びくださーい!」
と男性店員が威勢の良い大声を張り上げて、ワゴンコーナーに客寄せ。別な男性店員は、どこからか大量の衣料品を持ってきてワゴンにどんどん追加。とにかくもう500円らしい。徐々に落ち着いていた3階フロアも急激に活気づき、ワゴンの回りに買い物客が大集合。レジも再び大行列。清水屋の紙袋に詰められた商品が、次々と買い物客の手に渡っていく。レジの店員さんが小さな子どもに
「何歳なのー?」
と尋ねる場面も。
そう、これこそが、酒田大火からの復興の象徴であるデパート、マリーン5清水屋の姿。最後の最後で見せてくれた、活気あるデパート、夢のある空間。
18時の閉店時間が近づき、マリーン5清水屋正面口に集まる報道陣と買い物客の姿。大勢の買い物客、酒田市民が車道の反対側にまで集まって、マリーン5清水屋を見守っている。歩道を通りかかった親子連れ。
「ねえねえ、どうしてこんなに人が集まっているの?」
「今日で清水屋さんバイバイなのよ。」
大きくなって、清水屋デパートがここにあったことを、覚えているだろうか。
1階正面出口では、マリーン5清水屋の店員さんたちが整列し、店を後にする買物客に拍手。常連さんだったのであろうか。
1人、また1人と店を後にする買い物客。整列している店員さんが感謝の気持ちを込めて
「ありがとうございました」
の挨拶とともに一礼。
マリーン5清水屋の女性従業員の1人が気丈に正面ドアの前に進み、
「みなさま 長きにわたり マリーン5清水屋をお引き立ていただきましたこと 心よりあつくお礼申し上げます。」
と声を振り絞って集まっていた買い物客らにお礼の挨拶。
そして深々と一礼。周りからは割れんばかりの大拍手。そして
「ありがとう!」
「さようなら!」
のかけ声。71年の歴史。庄内地方唯一のデパート。そして山形県に最後まで残ったデパート。マリーン5清水屋の最後。
女性従業員が頭を上げ、拍手や歓声が続くなか
「それでは 閉めます!」
と一言。正面出入口の扉に手をかけた。
そして、両側の扉を閉じて、店舗の内外の空間を遮断。マリーン5清水屋の長い1日。そして71年の長い歴史が終わった瞬間だった。
整列していた店員さんもそれぞれ一礼をして、店の奥へと去っていく。店内はまだフロアに照明が灯され明るいが、何も無い空間だけが視界に残った。
正面エントランスにある時計の針は18時10分を指していた。その正面エントランスの照明が落とされ、やや薄暗くなって少しずつ外へと出て行く買い物客たち。
ふと
「くやしいのお」
という女性の声が耳に入った。
酒田市が大事にしてきたデパート、それを守ることができなかった想いがつい声に出てしまったのだろう。
マリーン5清水屋の中の様子を、建物の外からずーっと見つめている会社員。せめて、我が街のデパートの姿を目に焼き付けておこうとしているように見えた。ずっと ずっと 見つめ続けていた。
ある瞬間、店内の照明が一斉に消灯された。外はまだ明るいが、もう中の様子をうかがい知ることはできない。この会社員も、やがて去っていった。
店の外にはまだ多くの買い物客、市民、報道陣の姿が。手前にいる車イスの初老の女性は、
「清水屋のシャッターが閉まるところまで見届けたい。」
とずっとその場に留まる。きっと、自分の生活とともにあった清水屋デパートだったのであろう。
しかし、待てど暮らせどビルのシャッターは閉まらず。扉は施錠されていないので、何らかの動きがあるはずなのだが・・・。閉店から約1時間後、ついに諦めて女性はマリーン5清水屋前から去っていった。だんだん小さくなっていくその姿、もう清水屋デパートに会えない寂しい気持ちが伝わってきた。
報道陣もついにあきらめ1社、また1社と撤退し、マリーン5清水屋前に10人程度の一般の人々だけが残る中、エントランス出入口に動きが。ついたてで出入口を塞ぎ、ガラス扉に貼り紙を貼る作業が始まった。
ガラス扉に貼られた営業終了を伝える貼り紙。マリーン5清水屋は、営業を終了いたしました。
19時を過ぎても、マリーン5清水屋に向かう人々。部活帰りの学生?みんな、マリーン5清水屋に思い出があるのだろう。営業が終了したとはいえ、その最後の姿を写真に収めていた。
三日月と清水屋。
営業を終了したマリーン5清水屋。その灯りはまだ通りを照らしていた。そして店舗の前には、まだ名残惜しそうに居残る市民たち。
翌日、7月16日(金)について
復路計画:
[酒田庄交バスターミナル] 9:30 → 10:20 [エスモールバスターミナル] 11:15<br> → 13:12 [山交バスターミナル前]
徒歩 → 徒歩 [山形駅] 14:04 → 15:14 [福島駅]
復路実績:
[酒田駅] 06:00 → 07:06 [新庄駅] 07:16 → 09:14 [福島駅]
全ての計画を変更してまっすぐ福島に戻った。我が家にマリーン5清水屋の香りが薄れる前に持ち込もうと思い、目に焼き付けたマリーン5清水屋の姿とともに帰宅。