マリーン5清水屋(3)

マリーン5清水屋は2021年7月15日(木)に営業終了しました。

酒田市の中心市街地にあるマリーン5清水屋は、山形県庄内地方唯一の百貨店です。もとは呉服店を前身とし清水屋デパートとして昭和25年創業です。昭和51年の酒田大火の後に市街地再開発ショッピングモールのキーテナントとして現在地に入居、マリーン5清水屋として営業してきました。その後ダイエー資本に組み入れられるものの、大型小売店との競争から経営構造に危機感を抱き、1994年に中合と対等合併して中合清水屋店となりました。

長らく中合3店舗(福島店、会津店、清水屋)の一角として黒字営業を続け、ダイエー再建時の中合6店統合後も会津店とともに小規模店として営業展開するも、ピーク時の1997年度に約53億円あった売り上げは2009年度に25億6100万円に落ち込み、5期連続の赤字などの売上の低迷や、売り場面積が約9,000平方メートルと小規模店ゆえの他店舗との売上高の差などを理由に、2012年2月29日のもって中合は清水屋店の営業を終了することが発表されました。

中合撤退を受け建物を所有するマリーン5は営業を中合から引き継ぎ、閉店を回避することを決定しました。中合と契約していた大半のテナントと契約を結びなおすことで百貨店としての営業を継続させ、宮脇書店など新しいテナントも誘致しました。中合清水屋店閉店からわずか5日後の3月5日から、マリーン5清水屋として営業形態をそのままに新会社での百貨店営業を継続することとなりました。

中合清水屋店時代とほぼ同等での百貨店営業を引き続き、マリーン5清水屋という名称も受け継いで、酒田市の老舗デパートとしてこれからも街を支えていきます。

 

マリーン5清水屋。中合清水屋店時代と外観はほとんど変わっていない。売り場は1階から5階までの構成で、百貨店の商品要素をひととおり揃えている。マリーン5の経営引継ぎ後の目玉として入居している宮脇書店は4階フロアで営業。同様にフレンチの「ロジアス」は5階フロアに入居している。中合清水屋店時代に店舗外の建物1階にあった寿司屋はラーメン屋に変わっていた。

 

清水屋正面にあるエレベーター。設置当時は酒田市初のエレベーターだったそうだ。マリーン5清水屋は日本百貨店協会の会員にはなっていないため、全国百貨店共通商品券を使用することはできない。

 

マリーン5清水屋店は酒田駅前からはちょっと離れている。酒田市の中心市街地はマリーン5清水屋がある中町界隈である。庄内交通の路線バスで 中町バス停(店舗の目の前)か市役所周辺のバス停で下車する。鶴岡市と酒田市を結ぶ路線バスも中町バス停に停車する。

 

隣の酒田市産業会館の上に駐車場があり店舗との連絡通路がある。3階フロアと駐車場が直結しており、通路前に駐車券サービスカウンターや店舗インフォメーションがある。4階のシエロは一時休業とのことだが店内には複数の喫茶店があり、夕方の時間帯に一休みする買い物客の姿があった。

 

裏側にも店舗入口がある。中合時代にあった「MARINE5中合清水屋店」の看板は取り外されたまま(跡がのこっている)のようだ。1階フロアは化粧品、小物、バック、アクセサリーといった百貨店定番の構成に、食品フロアがあるが、中合時代の銘店コーナーは南側に移動し、グローサリーや日配品などのコーナーが拡充されていた。
 ※ お目当ての銘菓「酒田娘」はしっかり売っていました。

 

清水屋横の通りにアーケード商店街が形成され、大通りまで続いている。清水屋は街の中心的存在となっており、アーケード街の放送で清水屋の催し物の案内なども行われている。通りには赤と黒の1対の獅子舞の像があるが、これは酒田大火の後、
二度とこのような大火を起こすまいとの願いを込められて作れらたものだそうだ。

中合撤退後もしばらく訪問できておらず、およそ9年ぶりの訪問となりましたが、前回訪問時とほぼ変わらず街のデパートとして営業を続けていて安心しました。ただ売上不振から経営母体が変わったのは事実であり、平日夕方の時間帯(ちょうど催事も無かった日)ということもあり買い物客は多いとは言えず、周辺の人通りもまばらでした。休日の様子も気になるところですが、これからも酒田市そして庄内地方唯一の百貨店として市民に愛され続けてほしいものです。