丸広百貨店は、埼玉県を地盤とした百貨店。なぜ唐突に丸広百貨店が当サイトに登場したかというと、サイト運営者が幼いころ、川越市の従兄の家に毎年夏に遊びにいったとき、必ず一度は連れて行かれた百貨店だから。その時の記憶はおぼろげだが、取り戻してみたい。
その起こりは1939年、当時の飯能町原町に創業した個人商店でした。1949年に株式会社となり飯能店をオープン。1951年には埼玉県でも有数の都市である川越市に進出し、1954年には東松山店もオープンします。1963年に本店を飯能店から川越店に移転したのち、翌1964年には百貨店としての営業許可を取得。各店舗とも増床を続け、1978年には南浦和店をオープンさせました。
各地で中心市街地の空洞化の足音がかすかに聞こえだした平成に入るも、1989年の入間店、1992年の上尾店と埼玉県下で新規出店を推し進め、川越店に至っては1998年から増床やリモデルなどを断続的に実施しています。そして1999年10月にはJR高麗川駅近くに日高店を開業。2002年10月には坂戸店を開業し、埼玉県下に店舗網を張り巡らせました。
2006年には、南浦和店を百貨店からテナントビルへと業態変換。東武東上線川越駅間にあるアトレマルヒロも2012年にショッピングセンターへと業態転換を図っています。
また、2019年には全国でも珍しく残されていた川越店の屋上遊園地を閉園しました。市場環境の悪化から2021年2月14日には日高店を閉店。さらに2022年8月21日に坂戸店も閉店させ、2024年8月18日をもって東松山店も閉店しました。
一方で、アウトレットやショッピングパークなどにサテライト店を開くなど、きめ細かいニーズに応える取り組みも行っています。
一代で築いたと言われる埼玉県を代表する丸広百貨店は、時代を先取りしつつその流れに強いて贖わず、そのブランド力を維持しています。